その昔、LinuxはCUI(Character User Interface)のOSだ、とよくいわれていました。
CUIとは、コマンドと呼ばれる短い文字列をもちいてコンピュータを操作する形式のことです。
CUIの反対概念を表現する言葉がGUI(Graphical User Interface)。
絵(グラフィック)で表現されたアイコンをマウスで指定することで操作する形式です。
今や「GUIのOS」が当然で、「CUIオンリーのOS」は鐘と太鼓で探さないと見つかりません。その意味では完全に「GUI全盛時代」なのだし、それは当分続くと思います。でも、「GUI至上時代」はすでに終わりを告げているような気がするんです。
今回はそのお話。
かつてのMacintosh――OS 9までのMacは、GUIしか備えていない、まさに「GUIオンリー」のOSでした。
Windowsは本格GUIを採用したWindows95以降も、CUIインターフェイスであるMS-DOSプロンプト(通称DOS窓)を備えていましたけれども、これはその名のとおり、CUIのOSであるMS-DOS時代からのユーザに配慮してつくった機能だったと思います。メニューを注意して見なければ見落としてしまうようなところに、DOS窓はありました。これは現在も変わりません。
ところが、GUIをはじめに実用化し、世に広めたMacが、2001年発表のOS Xから大胆なモデルチェンジをおこないます。
OS X以降、MacはUNIXコマンドを受け付けるターミナルを備えるようになりました。……いや、正確には、Mac OS自体がUNIXになったんですね。
わたし自身は、これをアップル社の怠慢だろうと思っていました。
そう考えた人はわたしだけではなかったと思います(Wikipediaにもそんな記述が見られます)。
OS 9からXへのバージョン変更にあたり、アップル社の急務とされていたのはマルチタスク化です。
OS 9まで、Macはひとつのことをやってると他のことができなかった。
10枚の印刷とかはじめたら、マシンにはふれられず、モニタ見ながらボケッとしてるしか手がないのです。それはMac最大の弱点でした。
今となってはちょっと信じがたい話です。音楽のリスニング・スタイルを変えたのは、なんといってもアップル社のiPodとiTunesです。そのアップルのOSが不自由なシングルタスクで、「音楽聴きながら文書整形」すらできないなんて!
それまでのMac OSの設計思想を生かすならば、「GUIのOS」という専売特許を突き進めてマルチタスク化を成し遂げなければなりません。
ところが、アップルはこれを投げちゃったんです。それまでのOS 9をバージョンアップする形では、マルチタスクにならなかった。それで彼らは、UNIXにMacの皮を着せて、いけしゃあしゃあと「Mac OS」と名乗りました。やつらがつくったのは「皮」だけなのに! ……すくなくともわたしにはそう見えました。
ちなみに、Macはその数年後、一般のPCと同じインテル社製のCPUを採用するようになります。
ソフトウェア的にもハードウェア的にも、Macは「PC-UNIX(LinuxやFreeBSDなど、PCで動くUNIX)」と呼んで差し支えないものになりました。
でもね、こないだ、もしかしたらMacがUNIXになって、CUIコンソールを備えたのは正しいことだったのかもしれないな、と思ったんです。ひょっとするとこれも「アップル社の先進性」のひとつの具現なのかもしれない。……かりに意図してなくても。
2009年秋に、Windows7がリリースされましたよね。7って、すごく使いやすくていいOSだと思います。
XPの後継は7であり、Vistaは一種の試作バージョンだった。
わたしはそんなふうに理解しています。
かつて「MS-DOSプロンプト」と呼ばれたCUIターミナルは、XP以降「コマンド プロンプト」と名前を変えてWindowsに備わっています。でも、所詮はDOS窓、いにしえのMS-DOSコマンドしか受けつけないし、そのコマンド体系はUNIXと比べると「しょぼい」と言って差し支えないものです。
あまり知られてないですけど、Windows7から、従来のDOS窓に加えて「Windows Power Shell」という拡張版CUIを標準装備するようになっています。DOSコマンドはむろんのこと、種類によってはUNIXコマンドも受け付けられるCUIターミナルです。
これは想像ですけど、MacがUNIXになって、「CUIがやばいぞ」って話になったんじゃないかと思うんです。だって、オールGUIだったMacがUNIXになっちゃったら、Windowsだけがお粗末なCUIを備えたOSってことになっちゃうじゃん!
(↓Windows Power Shell。見てのとおりUNIX由来のlsコマンドが通り、ファイルの属性表示もしてくれます)
GUIはとっつきやすさ、わかりやすさにおいてCUIを圧倒的にしのいでいます。
わたしは一部のCUI至上主義者みたいに、「ファイルをマウスでつかんでズルズルひきずる」インターフェイスが特別に不便なものとは思っていません。わたし自身のコンピュータ・ライフもそれでスタートしましたし。
でも、CUIの便利さって絶対にあるんですよね。プログラミングのしやすさは当然ですけど、単純なファイル操作だって、CUIのほうがかんたん・らくちんな局面はたくさんある。
なんのことはない、GUIだけじゃなくて、両方扱えるようにすりゃいいだけの話なんです。「GUIだけ」ってのは、どう考えても行き過ぎなんですよ。
あたりにCUIのOSしかなかった時代に、「GUIオンリー」だったからこそMac OSは輝いたんです。WindowsをはじめとするすべてのOSがGUIを備えて当たり前になっているわけですから、「GUIオンリー」である必然は単なるこだわり以外にはあり得ない。
MacのUNIX化、そしてWindows Power Shellの標準装備には、「GUIオンリー時代」の終わりが表現されているのだと思います。
かつて「CUIのOS」と呼ばれたLinuxも、GNOME、もしくはKDE(わたし自身は使ったことがありません)というユーザ・フレンドリーなウィンドウ・マネージャを備えることにより、ほとんどすべての設定をGUIでおこなえるようになっています。
一方で、元来が「CUIのOS」ですから、CUIターミナルはかならず標準で入っています。同じPC-UNIX(とあえて言わせてもらいます)のMac OS Xよりずっと起動しやすい場所にあって、CUI操作を求めている感じです。
Macとはベクトルが逆ですけど、Linuxも「GUI/CUI両方」の時代に適応するようになったんだな、と思っています。
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