2010年12月14日火曜日

Emacsというエディタ

大して使いやしないくせに、わたしのUbuntuにはEmacsがインストールされています。
デフォルトでは入ってないんですけど、「最新のEmacsを使ってみたい」というヘンな好奇心と義務感によって、わざわざインストールして入れてあるのです。
たまーに気分が乗ると、これで文書を書いたりしています。
使い勝手は……残念ながらあまりいいとはいえません。だって、わかんないんだもの。

Emacsは「なんでもできる」オールマイティなアプリケーションです。


本業はエディタ……ということになっていますが、その能力はエディタのワクを大きくハミ出し、ウェブ・ブラウズもできるし、メーラにもなる。コンソールにもなる。プログラムのコンパイルだってできる!
Emacsは、PC上のほとんどあらゆることをたったひとりで解決しちゃう凄いやつ、なのです。

でも、それゆえの欠点がひとつ。
「なんでもできる」を実現するために、Emacsは操作が複雑です。たいがいのソフトウェアは「慣れないと使いこなせない」側面をもっていると思いますが、その点が突出している。

使いこなすことができれば限りなく便利だと思いますし、設定ファイルをいじってその能力を極限まで引き出せるならば、こんなに優秀なやつはそういないでしょう。
でも、いかんせん設計思想が古すぎる。非力なネットブックですらブラウザとエディタとコンソールを同時に立ち上げていても、まっとうに動くでしょう。「なんでもできる」がすでに理由をなくしています。

「なんでもできる」は、マルチウィンドウが存在せず、単一コンソールですべてをこなす必要があった古い時代に要請された機能だったのだと思います。

今Emacsを使ってるのは、古い時代から使っていて、Emacsの能力を存分に引き出せる猛者だけじゃないかな。
当然のこと、わたしには使いこなせません。

だったらなんで入れてんのよって話ですが、単純な話、懐かしいんです。
かつて頻繁にLinuxを使用していた一時期(10年ほど前でしょうか?)、もっともよく使っていたアプリはEmacsの国際版(日本語対応版)Muleでした。
当時、メールの送受信はMule/Emacsでやるのがふつうだったし、日本語対応しているエディタ自体、あまりなかった。それゆえの選択でした。

これは今でもそうですけど、EmacsはGUI環境だけではなく、コンソール画面でも使うことができます。世代的にコンソールは珍しい世代(はじめてのPCがWindows95)ですから、新鮮味もあって、あえてコンソールでメール書いたりしてましたよ当時は。うーん懐かしい。

「ああEmacsだなあ」と思いたい。
今、わたしがEmacsをインストールし、すくないディスクスペースを占有させてる理由はそれだけです。常用しようとも覚えようとも思わないけど、ときどき立ち上げたい。ほとんど観賞用ですね。
Ubuntuを使っていると、それがLinuxであることを忘れてしまうんです。それほどストレスなく使えてるってことですが、たまにこういう歴史的遺物を見て、長い長いUNIX文化を忍びたくなるのかもしれません。
歴史的遺物なんて言うな! まだバージョンアップしてるだろ! といわれればその通りだけど……Emacsの最初のバージョンって、パソコン誕生よりずっと古いんですよ。そこまで歴史あるソフトはそうそうないでしょ?

Emacsはあの「ハッカー界の聖人」リチャード・ストールマンがつくったソフトウェアです。

マイクロソフトやアップルなど、ソフトウェアを売ってお金を儲けようとする企業を「社会の害悪」と断じ、「フリー・ソフトウェア運動」を展開して戦い続ける革命戦士。ストールマンいわく「フリー」は「タダ」ではなく、「自由」を意味します。彼は自由のために戦う男なんです、まちがいなく。
でも、断じて理念に凝り固まった左翼活動家じゃない。本人はかぎりなくウィットに富んだ知性の持ち主で、発言がとにかくムチャクチャにおもしろいんです。ハーバード→MIT研究所の大天才のくせに(大天才だから?)、あえてヒッピー風のルックスを変えようともしないところも大好きです。

(↓こういうオッサンです)


フリー・ソフトウェア運動って、納得できることがすごく多いんですよ。
これについては、いずれ稿をあらためて述べてみたいと思っています。











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Ubuntu installed on IBM ThinkPad X41(The Last IBM Model - SSD remodeled).

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