2011年2月4日金曜日
Blekkoと梅の花
あたらしい検索エンジンBlekkoをいじってみました。
おもしろいのは、スラッシュ検索と呼ばれるものですね。検索ワードに/date とつけると、新しいものだけを検索してくれる。/Amazonとつければ、Amazonで販売されている商品だけを選んでくれる。Google検索で表示される山ほどのリンクをたどるよりも、効力を発揮する場面がきっとあるはずです。
こういうものは試してみないと理解できないわけで、あれこれやってみて「おおーBlekko便利じゃん」という話になったんですけど、やってるうちに気づきました。検索ワードを日本語にすると、自慢のスラッシュ検索がほとんど使えなくなる、って。
まあ、Googleのサービスですらまだ日本語化してないドキュメントがたくさんあるわけで(Google FeedBurnerとかね)、Blekkoに日本語版つくれるわけがないんですけど。
よく否定的に「ガラパゴス」なんていわれますけど、その大きな要因のひとつは、言語の壁ですよね(もっとも大きいのは日本国内市場の大きさだと思いますが)。
検索エンジンはGoogleひとり勝ちですよね。
日本はYahoo!のシェアが大きい珍しい国だ、なんていわれてますが、Yahoo! JAPANで使われているのもGoogleの検索エンジンです。Yahoo!を利用している人も、間接的にGoogleを使っていることになる。日本におけるGoogleのシェアが他国に比べてすくないわけではありません(本国アメリカのYahoo!はMicrosoftのBingと組んでいます)。
でもね、検索エンジンにかぎらず、今あるそれがベストとはかぎらない。厳しい冬のなかで、梅の花は着々と開花準備をはじめているんだ。勝者が美酒に酔っているとき、かならず新しい勢力が胎動をはじめているんです。
それがBlekkoだ、なんて言うつもりはないし、言えないんだけれど、こういう試みは応援したいし、広まってほしいな、と思います。
まだ検索エンジンといえばInfoseekやAlta Vistaだった時代(知ってる人はすくないんだろうなあ)、Google検索が登場したときの鮮烈さを、わたしはよく覚えています。当時のGoogleにはAdwordsもAdsenseもなかった。たぶん、企業じゃなかったんだと思います。
そこからでもこんなに大きくなれるんです。今、Googleって会社は、トヨタ(日本一の企業)よりもずっとでかいんですよ。まさにアメリカン・ドリームです。
2011年1月31日月曜日
エジプト・デモにみる「通信遮断」されない方法
エジプトの反政府デモは、「インターネットの利用形態」にたいする反省をさせてくれるものでした。
同デモではTwitterならびにFacebookがデモ参加者の連絡手段として利用され、さらにはUstreamを利用した現場中継までおこなわれていることが、大きな話題を呼びました。「右手に石、左手に携帯電話」が標語みたいに使われているという報道もありましたし、「インターネット革命」なんてトンチンカンなコピーもあった。
ところが、しばらくすると当局がネット接続を遮断してしまいました。公式声明では「そんなことしてない」って言ってるらしいですが、現につながんなくなってるわけで、他に理由は考えられません。
平和な日本でそんなことは起こらないと思いますし、起こって欲しくないとは思いますけど、現在のインターネット利用形態(サーバ/クライアントモデル)では、そういうことが簡単にできちゃうんですね。よくよく考えれば、エジプト・ローカルの民衆運動の連絡をとるのに、TwitterやらFacebookやら、アメリカのサービスが利用されてるってのもおかしな話です。1キロも離れてない場所にいる相手と連絡をとりあうだけなのに、遠い遠いアメリカにある(だろう)サーバを介してメッセージのやりとりをするって、ヘンだよ。
クラウド・コンピューティング――すなわちインターネット上のサーバにあるプログラムを利用してコンピュータを扱う形式は、今後どんどん進行していくことでしょう。
個人は機能的に「しょぼい」マシン(ネットブックとかスマートフォンとか)しかもっていない。プログラムは全部ネット上にあって、そこからダウンロードして使用する。今や、GoogleやZohoが、WordやExcelの代用品となるオフィス・ソフトウェアを供給していますから、個人が性能的に優れたコンピュータを持つ必然性は、どんどん失われています。
かくいうわたしがこうして時代遅れのノートPCにLinuxをインストールしてストレスなく使えるのも、クラウド(ウェブ)・サービスの充実が大きいです。たとえばGmailがあるおかげで、わたしはPCの乏しいデータ領域を圧迫することなく、メールのやりとりをすることができています。
でも、こうした「クラウド」上のサーバに頼り切った利用って、ひとたびプロバイダのサービスを停止したら、消えてなくなっちゃうものなんです。エジプトにおける反政府運動は、それを現実として見せてくれました。
管理するほうとしてはやりやすいですよね。プロバイダに圧力をかけて通信情報を見ることができるし、いざとなったら利用できなくすることもできる。通信はつねにコントロール可能な場所にあるわけです。クライアント/サーバモデルには、そういう弱点があります。
長くなりましたけど、そうじゃない方法もあるんですよ、というのが本稿の眼目。「ピア・ツー・ピア(P2P)ネットワーク」と呼ばれるものです。ネット上のサーバを介さず、ユーザどうしでつながる形態のこと。
P2Pは流出事件で大いに話題を振りまいたWinnyで有名になってしまったから、世間的にはあんまりいいイメージをもたれていません。でも、「インターネットのあるべき姿」として地道に研究されています。たとえばこれ。サーバを介さずにモバイル通信しようって試みです。
まー、こんなもんが一般化したら通信料金で儲けてる携帯キャリアもプロバイダ企業もいっさい消えてなくなっちゃいますから、実用化は難しいと思いますけど、こうした研究は続けてほしいし、こういう方法だってあるんだ、ということはみんなに知ってもらいたいですよね。
コンピュータどうしのネットワーク――インターネットは「ユーザどうしでつながる」という思想からスタートしてるんです。そこから考えたら現在の形態のほうが異常なんだ。
エジプトの反政府運動も、Twitterなんか使わず、P2Pで通信してたら遮断されることなんかなかったんですよ。
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同デモではTwitterならびにFacebookがデモ参加者の連絡手段として利用され、さらにはUstreamを利用した現場中継までおこなわれていることが、大きな話題を呼びました。「右手に石、左手に携帯電話」が標語みたいに使われているという報道もありましたし、「インターネット革命」なんてトンチンカンなコピーもあった。
ところが、しばらくすると当局がネット接続を遮断してしまいました。公式声明では「そんなことしてない」って言ってるらしいですが、現につながんなくなってるわけで、他に理由は考えられません。
平和な日本でそんなことは起こらないと思いますし、起こって欲しくないとは思いますけど、現在のインターネット利用形態(サーバ/クライアントモデル)では、そういうことが簡単にできちゃうんですね。よくよく考えれば、エジプト・ローカルの民衆運動の連絡をとるのに、TwitterやらFacebookやら、アメリカのサービスが利用されてるってのもおかしな話です。1キロも離れてない場所にいる相手と連絡をとりあうだけなのに、遠い遠いアメリカにある(だろう)サーバを介してメッセージのやりとりをするって、ヘンだよ。
クラウド・コンピューティング――すなわちインターネット上のサーバにあるプログラムを利用してコンピュータを扱う形式は、今後どんどん進行していくことでしょう。
個人は機能的に「しょぼい」マシン(ネットブックとかスマートフォンとか)しかもっていない。プログラムは全部ネット上にあって、そこからダウンロードして使用する。今や、GoogleやZohoが、WordやExcelの代用品となるオフィス・ソフトウェアを供給していますから、個人が性能的に優れたコンピュータを持つ必然性は、どんどん失われています。
かくいうわたしがこうして時代遅れのノートPCにLinuxをインストールしてストレスなく使えるのも、クラウド(ウェブ)・サービスの充実が大きいです。たとえばGmailがあるおかげで、わたしはPCの乏しいデータ領域を圧迫することなく、メールのやりとりをすることができています。
でも、こうした「クラウド」上のサーバに頼り切った利用って、ひとたびプロバイダのサービスを停止したら、消えてなくなっちゃうものなんです。エジプトにおける反政府運動は、それを現実として見せてくれました。
管理するほうとしてはやりやすいですよね。プロバイダに圧力をかけて通信情報を見ることができるし、いざとなったら利用できなくすることもできる。通信はつねにコントロール可能な場所にあるわけです。クライアント/サーバモデルには、そういう弱点があります。
長くなりましたけど、そうじゃない方法もあるんですよ、というのが本稿の眼目。「ピア・ツー・ピア(P2P)ネットワーク」と呼ばれるものです。ネット上のサーバを介さず、ユーザどうしでつながる形態のこと。
P2Pは流出事件で大いに話題を振りまいたWinnyで有名になってしまったから、世間的にはあんまりいいイメージをもたれていません。でも、「インターネットのあるべき姿」として地道に研究されています。たとえばこれ。サーバを介さずにモバイル通信しようって試みです。
まー、こんなもんが一般化したら通信料金で儲けてる携帯キャリアもプロバイダ企業もいっさい消えてなくなっちゃいますから、実用化は難しいと思いますけど、こうした研究は続けてほしいし、こういう方法だってあるんだ、ということはみんなに知ってもらいたいですよね。
コンピュータどうしのネットワーク――インターネットは「ユーザどうしでつながる」という思想からスタートしてるんです。そこから考えたら現在の形態のほうが異常なんだ。
エジプトの反政府運動も、Twitterなんか使わず、P2Pで通信してたら遮断されることなんかなかったんですよ。
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2011年1月27日木曜日
Amazonの新メール・サービスに秘められた「意図」とは?
先日、Amazonが電子メール配信サービスをはじめる、と発表されました。なんで今さら? なんですけど、そのサービスの意図について、わかりやすく述べてくれる人がいないみたいなんで、書いてみますね。
Amazonがこのたび展開するAmazonSimpleEmailServiceは、GoogleのGmailやMicrosoftのHotmailなどのフリーメール・サービスではありません。有償の企業向けメール配信サービスです。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0127&f=business_0127_020.shtml
あまり知られてないように思いますが、Amazonはいわゆる「クラウド・サービス」の勝ち組企業です(最大の勝者はいうまでもなくGoogleです)。
Amazonは、EC2と呼ばれる安価なサーバ・サービスを展開して、多くの顧客を集めました。それまでのレンタルサーバ・サービスを相対的に高価なものとし、価格破壊して成功したわけです。
もっとも、このサービスは基本的に、Amazonの主事業――ネット・ショッピング・モールとは、ほとんど関わりがありませんでした。Amazonで買い物をすることとサーバを借りることは、まったく別の消費行動ですから。
今回の電子メール配信サービスは、その2事業を有機的に接続するための方策なのだと思います。すなわち、Amazonが大量にもっている顧客情報と、EC2のユーザ企業を結びつける。
誰でも経験してると思いますが、Amazonで一度でも買い物すると、ウェブページでは勝手に「おすすめ商品」が表示されるようになりますし、商品の宣伝メールが送られてくるようになります。このシステムを、企業宣伝に活用してもらおう、というわけです。こっちは顧客情報もってんだから、メール使って効率的に宣伝できるよ、ということですね。
同時に、こうしたサービスを提供することによって、増えはじめたEC2の類似サービスと差別化したいんでしょう。
サーバレンタルってじつはアホみたいに簡単な事業で、サーバマシンをたくさん用意して、そのデータ領域をギガバイト単位で売るだけです。
マシンは秋葉原みたいなところで大量に部品買ってきて組み立て、OSにLinuxを使えば恐ろしく安く仕上がります。さらに、「クラウド」……つまりマシンをどこに置いてもいいわけですから、地価や電気代、人件費の安いところに置けばいい。
(Gmailなんかがいい例ですけど、あのメールデータがどこにあるかは、Googleに聞いたって絶対に教えてくれません)
簡単な事業ですから、EC2のフォロワーはたくさん出ました。日本のIT企業も、かなり多くこの事業に参入しています。Amazonとしては差別化しないといけないわけで、それがこのメール・サービスにつながったということですね。
あ、ここで述べたことは私の類推ですから、Amazonのねらいは別のところにある可能性もあります。とはいえ、EC2を使用する場合のメール・サービスは2000件まで無料、とうたってますから、大きなまちがいはないだろう、と思っています。
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Amazonがこのたび展開するAmazonSimpleEmailServiceは、GoogleのGmailやMicrosoftのHotmailなどのフリーメール・サービスではありません。有償の企業向けメール配信サービスです。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0127&f=business_0127_020.shtml
あまり知られてないように思いますが、Amazonはいわゆる「クラウド・サービス」の勝ち組企業です(最大の勝者はいうまでもなくGoogleです)。
Amazonは、EC2と呼ばれる安価なサーバ・サービスを展開して、多くの顧客を集めました。それまでのレンタルサーバ・サービスを相対的に高価なものとし、価格破壊して成功したわけです。
もっとも、このサービスは基本的に、Amazonの主事業――ネット・ショッピング・モールとは、ほとんど関わりがありませんでした。Amazonで買い物をすることとサーバを借りることは、まったく別の消費行動ですから。
今回の電子メール配信サービスは、その2事業を有機的に接続するための方策なのだと思います。すなわち、Amazonが大量にもっている顧客情報と、EC2のユーザ企業を結びつける。
誰でも経験してると思いますが、Amazonで一度でも買い物すると、ウェブページでは勝手に「おすすめ商品」が表示されるようになりますし、商品の宣伝メールが送られてくるようになります。このシステムを、企業宣伝に活用してもらおう、というわけです。こっちは顧客情報もってんだから、メール使って効率的に宣伝できるよ、ということですね。
同時に、こうしたサービスを提供することによって、増えはじめたEC2の類似サービスと差別化したいんでしょう。
サーバレンタルってじつはアホみたいに簡単な事業で、サーバマシンをたくさん用意して、そのデータ領域をギガバイト単位で売るだけです。
マシンは秋葉原みたいなところで大量に部品買ってきて組み立て、OSにLinuxを使えば恐ろしく安く仕上がります。さらに、「クラウド」……つまりマシンをどこに置いてもいいわけですから、地価や電気代、人件費の安いところに置けばいい。
(Gmailなんかがいい例ですけど、あのメールデータがどこにあるかは、Googleに聞いたって絶対に教えてくれません)
簡単な事業ですから、EC2のフォロワーはたくさん出ました。日本のIT企業も、かなり多くこの事業に参入しています。Amazonとしては差別化しないといけないわけで、それがこのメール・サービスにつながったということですね。
あ、ここで述べたことは私の類推ですから、Amazonのねらいは別のところにある可能性もあります。とはいえ、EC2を使用する場合のメール・サービスは2000件まで無料、とうたってますから、大きなまちがいはないだろう、と思っています。
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2011年1月18日火曜日
「アウトソーシング」の危険性
最近、若い「元プログラマ」に会うことがありました。
「元」というのは、現在はその仕事をよしちゃってるからです。
プログラムを組む、つまりコーディングは好きだ。でも、就職した会社ではコーディングはほとんどやらせてもらえなかった。
コードの多くは中国に外注して、日本人は全体の設計をする、というのが主流なのだそうです。そこで彼が何をやらされていたかというと、プログラムのテストとか。
プログラムにはバグがつきものですが、通りいっぺんの使い方では、それが明らかになることはすくない。
(昔のMicrosoftのアプリケーションでは、思いっきりバグ丸出しがありましたけど)
そこで、「テスト」が必要になってきます。
どういうことをやるかというと、「通りいっぺん」ではない使い方をいろいろ試みるのだそうです。
ABC……と手順を踏むのが正しい使い方とすれば、それをACBとか、CABとかの順番でやってみる。すると、欠点や誤動作があらわになったりする。
人間の行動をすべて規制することはできません。
ペットボトルのジュースはたいがいの人がフタを空けて飲むけれども、中にはボトルの底に穴を空けて飲む人がいるかもしれない。ジュースなら別にどんな飲み方してもいいわけですが、プログラムの場合、「底から」が重大な欠陥となる可能性がある。具体的には、そこがセキュリティ・ホールとなって、第三者の侵入やイタズラを奨励してしまうようになってしまったりする。
システムへの不法侵入者、いわゆるクラッカーは、そういうところを常に探しています。上級者になると、「なんとなくここが弱そうだ」というのが、カンでわかるのだそうで。
これは、コンピュータ・セキュリティを専門にやってるエンジニア(要は防御の専門家ですが、防御するには攻撃の手段を知らなければならず、攻撃者にもなれる能力をもった人です)に聞いた話です。
「当たり前ですけど、攻撃者だってプログラムの全部を見ることはできないんです。でも、なんか臭うんですよね。『このへんが弱そうだ』って。……で、そのあたりを見てみると、やっぱり弱いということがすごく多い」
テクノロジーの最先端で動物的カンが働く、というのはおもしろいですが、今回お話ししたいのはべつの話。
コーディングを中国に外注、すなわちアウトソーシングするというのは、企業としては正しい選択だと思います。複雑なプログラムはひとりではつくれないわけで、しこしこコードを書く人が大量に必要になる。すると人件費がべらぼうにかかるわけですから、それを外注して安く済ませようというのは、企業なら当然のことです。
でも、一方で外注された国の技術レベルは、どんどん上がっていきます。
ご存じの人も多いと思いますけど、サーバ侵入の自動攻撃(たとえばID/パスワードとなる文字列を大量に送り、合致するまでそれが続く)なんかは、たいがい中国からといわれています。
Googleは中国でのビジネスから撤退してしまいましたけど、理由として「中国からのサイバー攻撃が絶えないため」というのを第一に上げています。クラッカーは、中国にたくさんいる。それは世界的なコモンセンスです。
だとすれば、「中国にアウトソーシング」は、そうした悪玉を増加させていることにならないか。
なんでもそうですけど、プログラミングだってやればやるほど実力がつきます。昼は日本から注文されたコードをしこしこ書いて、夜は日本企業のサーバに侵入している。そんな人はいくらもいるでしょう。聞いた話では、中国のクラッカーは組織化されていて、勉強会もたびたび開催されているという話です。
アウトソーシングはたいへんけっこうなんですけれども、「プログラムをつくった人」が「穴を見つけて侵入する」のって、すごく簡単な気がします。
日本人がやっている「テスト」が十全ならばそれで問題ないわけですが、「プログラムをつくる人」は「テストの裏をかく」ことも容易だろう。
すこし肌寒い気がしたのですが、それはシロウトの杞憂でしょうか?
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「元」というのは、現在はその仕事をよしちゃってるからです。
プログラムを組む、つまりコーディングは好きだ。でも、就職した会社ではコーディングはほとんどやらせてもらえなかった。
コードの多くは中国に外注して、日本人は全体の設計をする、というのが主流なのだそうです。そこで彼が何をやらされていたかというと、プログラムのテストとか。
プログラムにはバグがつきものですが、通りいっぺんの使い方では、それが明らかになることはすくない。
(昔のMicrosoftのアプリケーションでは、思いっきりバグ丸出しがありましたけど)
そこで、「テスト」が必要になってきます。
どういうことをやるかというと、「通りいっぺん」ではない使い方をいろいろ試みるのだそうです。
ABC……と手順を踏むのが正しい使い方とすれば、それをACBとか、CABとかの順番でやってみる。すると、欠点や誤動作があらわになったりする。
人間の行動をすべて規制することはできません。
ペットボトルのジュースはたいがいの人がフタを空けて飲むけれども、中にはボトルの底に穴を空けて飲む人がいるかもしれない。ジュースなら別にどんな飲み方してもいいわけですが、プログラムの場合、「底から」が重大な欠陥となる可能性がある。具体的には、そこがセキュリティ・ホールとなって、第三者の侵入やイタズラを奨励してしまうようになってしまったりする。
システムへの不法侵入者、いわゆるクラッカーは、そういうところを常に探しています。上級者になると、「なんとなくここが弱そうだ」というのが、カンでわかるのだそうで。
これは、コンピュータ・セキュリティを専門にやってるエンジニア(要は防御の専門家ですが、防御するには攻撃の手段を知らなければならず、攻撃者にもなれる能力をもった人です)に聞いた話です。
「当たり前ですけど、攻撃者だってプログラムの全部を見ることはできないんです。でも、なんか臭うんですよね。『このへんが弱そうだ』って。……で、そのあたりを見てみると、やっぱり弱いということがすごく多い」
テクノロジーの最先端で動物的カンが働く、というのはおもしろいですが、今回お話ししたいのはべつの話。
コーディングを中国に外注、すなわちアウトソーシングするというのは、企業としては正しい選択だと思います。複雑なプログラムはひとりではつくれないわけで、しこしこコードを書く人が大量に必要になる。すると人件費がべらぼうにかかるわけですから、それを外注して安く済ませようというのは、企業なら当然のことです。
でも、一方で外注された国の技術レベルは、どんどん上がっていきます。
ご存じの人も多いと思いますけど、サーバ侵入の自動攻撃(たとえばID/パスワードとなる文字列を大量に送り、合致するまでそれが続く)なんかは、たいがい中国からといわれています。
Googleは中国でのビジネスから撤退してしまいましたけど、理由として「中国からのサイバー攻撃が絶えないため」というのを第一に上げています。クラッカーは、中国にたくさんいる。それは世界的なコモンセンスです。
だとすれば、「中国にアウトソーシング」は、そうした悪玉を増加させていることにならないか。
なんでもそうですけど、プログラミングだってやればやるほど実力がつきます。昼は日本から注文されたコードをしこしこ書いて、夜は日本企業のサーバに侵入している。そんな人はいくらもいるでしょう。聞いた話では、中国のクラッカーは組織化されていて、勉強会もたびたび開催されているという話です。
アウトソーシングはたいへんけっこうなんですけれども、「プログラムをつくった人」が「穴を見つけて侵入する」のって、すごく簡単な気がします。
日本人がやっている「テスト」が十全ならばそれで問題ないわけですが、「プログラムをつくる人」は「テストの裏をかく」ことも容易だろう。
すこし肌寒い気がしたのですが、それはシロウトの杞憂でしょうか?
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2010年12月29日水曜日
「GUIオンリー時代」の終わり
その昔、LinuxはCUI(Character User Interface)のOSだ、とよくいわれていました。
CUIとは、コマンドと呼ばれる短い文字列をもちいてコンピュータを操作する形式のことです。
CUIの反対概念を表現する言葉がGUI(Graphical User Interface)。
絵(グラフィック)で表現されたアイコンをマウスで指定することで操作する形式です。
今や「GUIのOS」が当然で、「CUIオンリーのOS」は鐘と太鼓で探さないと見つかりません。その意味では完全に「GUI全盛時代」なのだし、それは当分続くと思います。でも、「GUI至上時代」はすでに終わりを告げているような気がするんです。
今回はそのお話。
かつてのMacintosh――OS 9までのMacは、GUIしか備えていない、まさに「GUIオンリー」のOSでした。
Windowsは本格GUIを採用したWindows95以降も、CUIインターフェイスであるMS-DOSプロンプト(通称DOS窓)を備えていましたけれども、これはその名のとおり、CUIのOSであるMS-DOS時代からのユーザに配慮してつくった機能だったと思います。メニューを注意して見なければ見落としてしまうようなところに、DOS窓はありました。これは現在も変わりません。
ところが、GUIをはじめに実用化し、世に広めたMacが、2001年発表のOS Xから大胆なモデルチェンジをおこないます。
OS X以降、MacはUNIXコマンドを受け付けるターミナルを備えるようになりました。……いや、正確には、Mac OS自体がUNIXになったんですね。
わたし自身は、これをアップル社の怠慢だろうと思っていました。
そう考えた人はわたしだけではなかったと思います(Wikipediaにもそんな記述が見られます)。
OS 9からXへのバージョン変更にあたり、アップル社の急務とされていたのはマルチタスク化です。
OS 9まで、Macはひとつのことをやってると他のことができなかった。
10枚の印刷とかはじめたら、マシンにはふれられず、モニタ見ながらボケッとしてるしか手がないのです。それはMac最大の弱点でした。
今となってはちょっと信じがたい話です。音楽のリスニング・スタイルを変えたのは、なんといってもアップル社のiPodとiTunesです。そのアップルのOSが不自由なシングルタスクで、「音楽聴きながら文書整形」すらできないなんて!
それまでのMac OSの設計思想を生かすならば、「GUIのOS」という専売特許を突き進めてマルチタスク化を成し遂げなければなりません。
ところが、アップルはこれを投げちゃったんです。それまでのOS 9をバージョンアップする形では、マルチタスクにならなかった。それで彼らは、UNIXにMacの皮を着せて、いけしゃあしゃあと「Mac OS」と名乗りました。やつらがつくったのは「皮」だけなのに! ……すくなくともわたしにはそう見えました。
ちなみに、Macはその数年後、一般のPCと同じインテル社製のCPUを採用するようになります。
ソフトウェア的にもハードウェア的にも、Macは「PC-UNIX(LinuxやFreeBSDなど、PCで動くUNIX)」と呼んで差し支えないものになりました。
でもね、こないだ、もしかしたらMacがUNIXになって、CUIコンソールを備えたのは正しいことだったのかもしれないな、と思ったんです。ひょっとするとこれも「アップル社の先進性」のひとつの具現なのかもしれない。……かりに意図してなくても。
2009年秋に、Windows7がリリースされましたよね。7って、すごく使いやすくていいOSだと思います。
XPの後継は7であり、Vistaは一種の試作バージョンだった。
わたしはそんなふうに理解しています。
かつて「MS-DOSプロンプト」と呼ばれたCUIターミナルは、XP以降「コマンド プロンプト」と名前を変えてWindowsに備わっています。でも、所詮はDOS窓、いにしえのMS-DOSコマンドしか受けつけないし、そのコマンド体系はUNIXと比べると「しょぼい」と言って差し支えないものです。
あまり知られてないですけど、Windows7から、従来のDOS窓に加えて「Windows Power Shell」という拡張版CUIを標準装備するようになっています。DOSコマンドはむろんのこと、種類によってはUNIXコマンドも受け付けられるCUIターミナルです。
これは想像ですけど、MacがUNIXになって、「CUIがやばいぞ」って話になったんじゃないかと思うんです。だって、オールGUIだったMacがUNIXになっちゃったら、Windowsだけがお粗末なCUIを備えたOSってことになっちゃうじゃん!
(↓Windows Power Shell。見てのとおりUNIX由来のlsコマンドが通り、ファイルの属性表示もしてくれます)
GUIはとっつきやすさ、わかりやすさにおいてCUIを圧倒的にしのいでいます。
わたしは一部のCUI至上主義者みたいに、「ファイルをマウスでつかんでズルズルひきずる」インターフェイスが特別に不便なものとは思っていません。わたし自身のコンピュータ・ライフもそれでスタートしましたし。
でも、CUIの便利さって絶対にあるんですよね。プログラミングのしやすさは当然ですけど、単純なファイル操作だって、CUIのほうがかんたん・らくちんな局面はたくさんある。
なんのことはない、GUIだけじゃなくて、両方扱えるようにすりゃいいだけの話なんです。「GUIだけ」ってのは、どう考えても行き過ぎなんですよ。
あたりにCUIのOSしかなかった時代に、「GUIオンリー」だったからこそMac OSは輝いたんです。WindowsをはじめとするすべてのOSがGUIを備えて当たり前になっているわけですから、「GUIオンリー」である必然は単なるこだわり以外にはあり得ない。
MacのUNIX化、そしてWindows Power Shellの標準装備には、「GUIオンリー時代」の終わりが表現されているのだと思います。
かつて「CUIのOS」と呼ばれたLinuxも、GNOME、もしくはKDE(わたし自身は使ったことがありません)というユーザ・フレンドリーなウィンドウ・マネージャを備えることにより、ほとんどすべての設定をGUIでおこなえるようになっています。
一方で、元来が「CUIのOS」ですから、CUIターミナルはかならず標準で入っています。同じPC-UNIX(とあえて言わせてもらいます)のMac OS Xよりずっと起動しやすい場所にあって、CUI操作を求めている感じです。
Macとはベクトルが逆ですけど、Linuxも「GUI/CUI両方」の時代に適応するようになったんだな、と思っています。
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CUIとは、コマンドと呼ばれる短い文字列をもちいてコンピュータを操作する形式のことです。
CUIの反対概念を表現する言葉がGUI(Graphical User Interface)。
絵(グラフィック)で表現されたアイコンをマウスで指定することで操作する形式です。
今や「GUIのOS」が当然で、「CUIオンリーのOS」は鐘と太鼓で探さないと見つかりません。その意味では完全に「GUI全盛時代」なのだし、それは当分続くと思います。でも、「GUI至上時代」はすでに終わりを告げているような気がするんです。
今回はそのお話。
かつてのMacintosh――OS 9までのMacは、GUIしか備えていない、まさに「GUIオンリー」のOSでした。
Windowsは本格GUIを採用したWindows95以降も、CUIインターフェイスであるMS-DOSプロンプト(通称DOS窓)を備えていましたけれども、これはその名のとおり、CUIのOSであるMS-DOS時代からのユーザに配慮してつくった機能だったと思います。メニューを注意して見なければ見落としてしまうようなところに、DOS窓はありました。これは現在も変わりません。
ところが、GUIをはじめに実用化し、世に広めたMacが、2001年発表のOS Xから大胆なモデルチェンジをおこないます。
OS X以降、MacはUNIXコマンドを受け付けるターミナルを備えるようになりました。……いや、正確には、Mac OS自体がUNIXになったんですね。
わたし自身は、これをアップル社の怠慢だろうと思っていました。
そう考えた人はわたしだけではなかったと思います(Wikipediaにもそんな記述が見られます)。
OS 9からXへのバージョン変更にあたり、アップル社の急務とされていたのはマルチタスク化です。
OS 9まで、Macはひとつのことをやってると他のことができなかった。
10枚の印刷とかはじめたら、マシンにはふれられず、モニタ見ながらボケッとしてるしか手がないのです。それはMac最大の弱点でした。
今となってはちょっと信じがたい話です。音楽のリスニング・スタイルを変えたのは、なんといってもアップル社のiPodとiTunesです。そのアップルのOSが不自由なシングルタスクで、「音楽聴きながら文書整形」すらできないなんて!
それまでのMac OSの設計思想を生かすならば、「GUIのOS」という専売特許を突き進めてマルチタスク化を成し遂げなければなりません。
ところが、アップルはこれを投げちゃったんです。それまでのOS 9をバージョンアップする形では、マルチタスクにならなかった。それで彼らは、UNIXにMacの皮を着せて、いけしゃあしゃあと「Mac OS」と名乗りました。やつらがつくったのは「皮」だけなのに! ……すくなくともわたしにはそう見えました。
ちなみに、Macはその数年後、一般のPCと同じインテル社製のCPUを採用するようになります。
ソフトウェア的にもハードウェア的にも、Macは「PC-UNIX(LinuxやFreeBSDなど、PCで動くUNIX)」と呼んで差し支えないものになりました。
でもね、こないだ、もしかしたらMacがUNIXになって、CUIコンソールを備えたのは正しいことだったのかもしれないな、と思ったんです。ひょっとするとこれも「アップル社の先進性」のひとつの具現なのかもしれない。……かりに意図してなくても。
2009年秋に、Windows7がリリースされましたよね。7って、すごく使いやすくていいOSだと思います。
XPの後継は7であり、Vistaは一種の試作バージョンだった。
わたしはそんなふうに理解しています。
かつて「MS-DOSプロンプト」と呼ばれたCUIターミナルは、XP以降「コマンド プロンプト」と名前を変えてWindowsに備わっています。でも、所詮はDOS窓、いにしえのMS-DOSコマンドしか受けつけないし、そのコマンド体系はUNIXと比べると「しょぼい」と言って差し支えないものです。
あまり知られてないですけど、Windows7から、従来のDOS窓に加えて「Windows Power Shell」という拡張版CUIを標準装備するようになっています。DOSコマンドはむろんのこと、種類によってはUNIXコマンドも受け付けられるCUIターミナルです。
これは想像ですけど、MacがUNIXになって、「CUIがやばいぞ」って話になったんじゃないかと思うんです。だって、オールGUIだったMacがUNIXになっちゃったら、Windowsだけがお粗末なCUIを備えたOSってことになっちゃうじゃん!
(↓Windows Power Shell。見てのとおりUNIX由来のlsコマンドが通り、ファイルの属性表示もしてくれます)
GUIはとっつきやすさ、わかりやすさにおいてCUIを圧倒的にしのいでいます。
わたしは一部のCUI至上主義者みたいに、「ファイルをマウスでつかんでズルズルひきずる」インターフェイスが特別に不便なものとは思っていません。わたし自身のコンピュータ・ライフもそれでスタートしましたし。
でも、CUIの便利さって絶対にあるんですよね。プログラミングのしやすさは当然ですけど、単純なファイル操作だって、CUIのほうがかんたん・らくちんな局面はたくさんある。
なんのことはない、GUIだけじゃなくて、両方扱えるようにすりゃいいだけの話なんです。「GUIだけ」ってのは、どう考えても行き過ぎなんですよ。
あたりにCUIのOSしかなかった時代に、「GUIオンリー」だったからこそMac OSは輝いたんです。WindowsをはじめとするすべてのOSがGUIを備えて当たり前になっているわけですから、「GUIオンリー」である必然は単なるこだわり以外にはあり得ない。
MacのUNIX化、そしてWindows Power Shellの標準装備には、「GUIオンリー時代」の終わりが表現されているのだと思います。
かつて「CUIのOS」と呼ばれたLinuxも、GNOME、もしくはKDE(わたし自身は使ったことがありません)というユーザ・フレンドリーなウィンドウ・マネージャを備えることにより、ほとんどすべての設定をGUIでおこなえるようになっています。
一方で、元来が「CUIのOS」ですから、CUIターミナルはかならず標準で入っています。同じPC-UNIX(とあえて言わせてもらいます)のMac OS Xよりずっと起動しやすい場所にあって、CUI操作を求めている感じです。
Macとはベクトルが逆ですけど、Linuxも「GUI/CUI両方」の時代に適応するようになったんだな、と思っています。
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